家族が脳梗塞で倒れたとき、多くの人が最初にぶつかるのがこの問いではないでしょうか。
「仕事は、休むべきなのか」
「それとも、続けるべきなのか」
この問いに、正解はありません。
ただし、急性期を経験してはっきりしたことがあります。
それは――「付き添えば安心」「休めば正しい」という単純な話ではなかった、ということです。
付き添っていないと、何かあったとき後悔するのではないか
急性期に入ってから、私たち家族は「できるだけ病院に行った方がいいのでは」と何度も考えました。
- そばにいなかったら、急変に気づけないのでは
- 何かあったとき、「あのとき行っていれば」と思うのでは
- 家族なのに、仕事を優先していいのか
こうした不安は、とても自然なものだと思います。
同時に、こんな気持ちもありました。
- 毎日長時間病院にいても、できることは限られている
- 医師と話せる時間は決まっている
- ただ「いるだけ」になってしまう時間が長い
付き添い=安心、とは限らない。
でも、離れることにも罪悪感がついて回る。
この板挟みが、一番苦しかった部分です。
私たちが選んだ「分散」と「待機」という形
結果として、家族で選んだのは、
- 常に誰かが付き添う体制にはしない
- 面会可能時間(13〜20時)の中で分散して訪問
- 一部の時間は、実家や自宅で待機する
という形でした。
これは、「仕事を最優先した」わけでも「家族を軽視した」わけでもありません。
長期化する可能性を前提に、持続可能な形を取った、という判断でした。
付き添いすぎることの、見えにくい負担
急性期は、数日〜数週間で終わるとは限りません。
- 毎日仕事を休み続けることの現実的な限界
- 体力・集中力が落ちた状態での付き添い
- 情報が更新されない時間を、病室でただ待ち続ける精神的消耗
「そばにいる」こと自体が、必ずしもプラスに働くとは限らない場面がありました。
むしろ、
- 落ち着いた状態で情報を整理する
- 医師の説明を冷静に受け止める
- 次に備えて体力と判断力を温存する
こうした役割は、病院の外にいるからこそ果たせた部分もあります。
仕事を続けることは、逃げではなかった
仕事を続けていると、ふとこんな感情が湧きます。
「今、仕事をしていていいんだろうか」
「もっと病院に行くべきなんじゃないか」
でも後から振り返ると、仕事を続けていた時間は、現実から逃げる時間ではありませんでした。
- 生活を維持するための行為
- 判断を先延ばしにしないための土台
- 家族全体が消耗しきらないための支え
仕事を完全に止めていたら、別のところで判断を誤っていた可能性もあったと思います。
「休む/続ける」ではなく、「どう配分するか」
この経験から言えるのは、
仕事を休むか、続けるか、という二択で考えると、必ず苦しくなる、ということです。
実際に必要だったのは、
- どの時間に病院へ行くか
- 誰が、どの役割を担うか
- 今は「判断を急がない」フェーズなのか
こうした配分の設計でした。
まとめ:どちらを選んでも、間違いではない
急性期において、
- 仕事を休む選択も
- 仕事を続ける選択も
どちらも、間違いではありません。
大切なのは、
- 罪悪感だけで決めないこと
- 「やっていないこと」より「保っているもの」に目を向けること
- 今は長期戦の入り口だと認識すること
この記事は、「こうすべき」と言うためのものではありません。
ただ、付き添いと仕事の間で揺れた家族が、こういう折り合いをつけたその記録として、ここに残します。

